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2020/09/07

アプリ「みっぷ」に込められた願い⑩:なぜ健常者は精神障害者を無視するのか



さて、ジラールの話題も
もうすぐおしまいです、
と言いつつ、
もうちょっとだけ、続きます。

前回は、こちら↓

記事のタイトルは、
正常と異常という分類は
多数派にしか役に立たない
としています。

シリーズの最初に挙げた
二つの疑問のうち、
最初の一つについて、
検討しながら、
(それを疑問Aとしました)

少数派ならば
そのような分類は
手放そう、という結論になりました。

・・・

今回は、
もう一つの疑問、

この私の苦しみを、なぜ
社会の多くの人たちは、
まるでなかったかのように
生きているのか?

について、
一緒に考えていきましょう。
(これを、疑問Bとします)

・・・

実は、9回も、
このメンドウなシリーズに
付き合って頂いた読者の方には、

疑問Bの回答が、
ご自身で導きだせるハズです。

どうでしょう、
何だか、気がつきますか?

・・・
・・・

そう、

精神障害者の苦しみを
まるでなかったかのように
生きること、

それが、当たり前のように
できるようになることが、

精神障害者をいけにえとする、
現代における供犠(くぎ)の
目的だから
ということになります。

つまり、
現代における供犠は、
成功している、ということです。

健常者と分類された者は、
表面上は、別として、
こころの底では、
精神障害者を
別世界の者として、
無視し続けることができる。

それが、供犠の
効果であり、
メリットなのです。

・・・

このメカニズム、
腑に、
落ちますでしょうか?

簡単に復習しましょう。
ポイントは、
階層喪失、です。

心身の反応における多数派は、
自分も、場合によっては
心身の反応における少数派に
陥ってしまう恐怖
常に、こころの底では
抱いている。

※これを、
気が狂ってしまうかもしれない
恐怖として、説明しましたね。

それは、社会全体の
階層喪失の危機をもたらす。

だから、
供犠という対処システムを
多数派が用意する。

それとセットで、
正常(健常者)と
異常(精神障害者)という
人為的な分類が、
精神医学という神話(表)とともに、
用意される。

その結果、
階層喪失の危機は、
回避される。

回避された時、
多数派は、もう、少数派を、
気にしなくて済むわけです。

自分たちは、健常者で、
精神障害者に陥ることはない、

その確信によって、
気が狂う恐怖を、
封印できるからです。

この絶対的な安心感の上に、
健常者と精神障害者との間の
絶対的な断絶の上に、

精神医学という神話(表)を
多数派が受け入れるのです。

精神障害者には優しくしよう、
回復をサポートしよう・・・、
などなど。

供犠が、うまく
機能している限りは、

ほんとうは、健常者は、
精神障害者のことなど、
どうでもよいのです。

だが、その、
ほんとうのことを隠すための
神話(表)に
付き合っているだけなのです。

だから、
多くのPSMの方が、
自分をとてもよく
サポートしてくれるスタッフに、
時に、隠微に、
時に、あからさまに、

冷淡な印象を持ってしまうのは、
このメカニズムが
働いているからなのです。

この、悲しみは、

スタッフの個人的資質を超えて、
供犠がうまく機能してしまっている、
この社会自体がもたらす
悲しみ、と言えます。

・・・

みっぷをきっかけに
ジラールの理論を学ぶ時、

Do: 
多数派が少数派を
無視するのは、
供犠(くぎ)というメカニズムが
社会の中で機能しているからだ、
と理解する。

Don’t: 
多数派が少数派を
無視するのは、
少数派が悪いからだ、
あるいは、
多数派が悪いからだ、
と解釈してしまう。

さて、次回は、
いよいよ、最後のテーマです。

この供犠というメカニズムは
乗り越えることが、
できるのでしょうか?

これについて、
考えてみましょう。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、 
ぜひ一度、お問い合わせください。