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2016/11/03

サイコソマティック・マイノリティーの未来のために:想像力を鍛えよう


今回のテーマは、
7月26日に起きた、
津久井やまゆり園の事件です。

小椋も衝撃を受けました。
ただ、この感情を、
なんと表現したらいいのか。
もっと早めに、このメルマガで
言葉にしたいと思いつつ、
まとまりがつきませんでした。

先日、
日本精神神経学会の
法委員会が
見解を発表しました。
この文面が、かなり
「我が意を得たり!」
という感じで、
背中をおされて、
このメルマガを書いています。

一月以上、経ちますが、
あらためて、
亡くなられた方々の、
冥福をお祈りします。
ご家族の心中、
お察しいたします。

事件に巻き込まれた方は、
まさに、PSM。

だから、
事件直後の外来診察で、
自身がデイケア通所中の
患者さんが、
自分たちは大丈夫か?と
不安をもらされましたが、
その不安も当然ですね。

実際、厚労省は、
福祉施設などに
安全確保の注意喚起をしました。

知的障害者のサポートをする
全国手をつなぐ育成会連合会は、
「もし誰かが
『障害者はいなくなればいい』
なんて言っても、
私たち家族は
全力でみなさんのことを
守ります」と
翌日、メッセージを発しています。

小椋も、同感です。

でも、複雑です・・・

加害者も、
PSMだからです。

小椋は神奈川で
臨床をしていた時期もあり、
精神保健指定医の資格で、
加害者の入院担当医になっていた
その可能性、ゼロではない。

きっと、
加害者の優生思想を、
保護室の中で、
聴いていただろう。

その思想はどこから来たのか?
彼にとって、
どんな意義があるのか?

治療の余地のある妄想か?
それとも彼の生き様なのか?
退院したら、
行動を起こすだろうか?

退院許可について
そうとう、悩んだだろう。

当初より、
加害者の退院が
早すぎたのではないか、
より厳し入院が必要ではないか、
という議論があります。

でも、それをおしすすめると、
加害のリスクあるPSMは
すべて予防的に入院させる、
という状況になります。

複雑ですよね。

私たちPSMは、
被害者になるリスクと、
加害者として拘束されるリスク、
両方を持っているということ?

そのいずれも、ノー!

先程の学会の見解は、
明快に、情熱をもって
それを主張していて、
ちょっと、感動しました。
きっと、法委員会の先生、
いい先生たちなんだと思う。(見解

「私たちはこの事件の
悲しみと憤りを乗り越えて、
差別・偏見のない共生社会を
実現しなければならないが、
その営為は、
私たち自身の内なる優生思想を
克服することなしには
達成できないことを
銘記するものである」
と結ばれています。

むむむ
なかなか、精神科の先生っぽい
言い方。

言いかえると、
社会で起きていることは、
その縮図がこころの中にある。
こころの中に起きるとことは、
人を役者として、
社会の中で演じられる。

優生思想の前提は、
人の価値に優劣を認めること。

内なる優生思想とは、
自分の中の
ある部分は「優」で、
ある部分は「劣」で、
優が劣を排除しようとする、
こころの動き。

それが、
自分のこころの中で、
加害者と被害者を
つくっている。

あなたの中の、
加害者は、誰ですか?
被害者は、誰ですか?

否定し、攻撃するあなたは?
否定され、攻撃されるあなたは?

あなたの中の暴力が続くかぎり、
社会の中の暴力も続く。

それを、克服するとは?

少なくとも、
最初の一歩は、
加害者と被害者がいると
知ること。

次は、
加害者の気持ちも、
被害者の気持ちも、
わかろうとすること。

そのためには、
暴力が起こった時、

それが、
社会の事件であっても、
自分のこころの中であっても、

自分が
加害者であっても、
被害者であっても、
傍観者であっても、

Do:
まず、
いまの自分の立場を
味わいつくす。
その後、
別の立場を味わう努力をする。
その切り替える想像力を鍛える。

Don’t:
味わいつくそうとする勇気、
切り替えようとする勇気、
それをあきらめる。

この手法は、
プロセス指向心理学で、
「ロールスイッチ」といいます。
(役の交代)
詳しくは、こちら↓
症状への対処法としての瞑想:上級編

それでは今週も
マイペースで乗り切りましょう!