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2022/07/11

「毒親」とは何か⑩:隷属化パーソナリティ(ESP)と奴隷制



さて、
毒親のシリーズが続きます。
今回は、第10回目。

前回は、こちら↓

前回は、
このシリーズの
総まとめをした後、

精神疾患に由来する隷属化状況
(ESC)の、
C美さん以外の具体例を
ご紹介しました。

今回は、
隷属化する親たち、
特に、その原型としての
隷属化パーソナリティ(ESP)

彼らの「信じる」、つまり

子は所有物だ、
そう信じる権限が親にはある、
という信念について、
深掘りしてみましょう。

・・・

このシリーズの
第2回目でご紹介した
米国のカウンセラー、
ランディー・バンクロフトは、

彼らに特徴的なのは、
この信念だ、と指摘しています。

ランディーの指摘を
小椋なりに言い換えると、

彼らには、
精神疾患を疑う所見は
認められない。

人の4つの機能は、
十分に機能している。

ただし、
信じる」機能が、
何を信じているのか、

その内容
ものすごく特徴的なのだ、
ということです。

子は所有物である、
と信じる、そのことを

「特徴的だ」と言わず
「異常だ」と、ついつい
言いたくなりますが、

「信じる」機能が
十分に作動している中で、

信じている内容が
多数派と異なる、というだけで
彼らの「信じる」全体を
異常と断定することは、
できないですよね。

少数派だ、とは
言えますが。

そして、ESPたちは、
その「信じる」に忠実に従って、

彼らの「考える」「感じる」
そして「動く」を、十二分に
駆動させているわけです。

例えるなら、
インストールされている
プログラムは少数派だが、

マシーン自体は
申し分なく機能している
コンピュータだ、
と説明すれば
わかりやすいでしょう。

彼らESPたちの
無敵な感じは
ここに由来
しているのです。

・・・

でも、
隷属化される側は
たまったものでは
ありませんね。

このシリーズの
立ち位置に戻るなら、

隷属化される側は、
ESPたちと、
どう、付き合っていけばよいのか?
という問いを
立てることになります。

そして、その第一歩は、
彼らを「見切る
ということでした。

彼らの
「考える」「感じる」「動く」は
見切ってきました。

最後に、彼らの
「子は所有物である」という
信念を
分析・整理してみよう、
というわけです。

・・・

と言いつつ、
ここから先の展開のために
ちょっとした復習が
必要です。

シリーズの第6回、
まさにESPという用語を
導入した回ですが、

その際の説明を、
再掲します。

・・・

(ESPは)
弱者を隷属化する
認知・行動特性を持った
「人」という意味になります。

なので、その特性が
発揮されるのは、必ずしも、
親子関係だけに限りません。

ESPは、
弱者と強者の力関係が発生する
対人関係の中なら、

夫婦関係でも、
上司と部下の関係でも、
部活の先輩と後輩との間でも、
現れてきます。

つまり、
雑多に「毒親」と呼ばれている
人々の一群の中には、

親子関係の中で出現した
ESPが含まれる、と
整理できるわけです。

(引用終わり)

・・・

何がお伝えしたいかと言うと、
このタイミングで、
一旦、親子関係から
離れた視点に立って
ESPの信念について取り組もう、
というこです。

そうした方が、
ESPの本質が
見えやすいからです。

そうすると、
一気に、視界が広がります。

圧倒的に見えてくるのは、
夫婦関係の中で、
妻を隷属化するESPの夫。

どの職場にも
一定頻度で出現する
部下を隷属化するESPの上司。

彼らESPは、診察で、
実際に被害に遭っている方の語りを通じて
小椋の中には明瞭に
浮かび上がっています。

学術文献を通じてなら
もっと視界が広がります。

信じられないかもしれませんが、
そして、ほとんどメディアは
語りませんが、

売春のため
女性を人身売買するビジネスが
先進国である英国でも
現存しており、

制度上の奴隷制が廃止されても
実際は奴隷状態が
社会の一部で続いていると訴える
社会学の論文もあります。

そのビジネスオーナーの方は
ESPの可能性が高いでしょう。

・・・

ここで出てきた
奴隷制は、キーワードです。

奴隷制とは、

同胞である人間を
隷属化することを、
つまり、奴隷としての身分・階級を
固定させることを、
社会制度として許容したものです。

21世紀ももうすぐ
四半世紀が過ぎようとしている現在、

奴隷制なんて、
歴史の教科書にしか登場しない
死語のようなイメージしか
ないかもしれません。

が、米国の奴隷解放宣言が
1863年。たった
150年程度の昔です。

その一方、
奴隷制の歴史を紐解くと、
太古の昔から
あらゆる地域で
存在していたようです。

部族間の戦闘が行われ、
捕虜が発生した時点から
奴隷が誕生していたと
推測されています。

つまり、我々人類は、
圧倒的に長い年月、
奴隷制を許してきた
言えるわけです。

・・・

なんだかえらく
話が大きくなっているようだが・・・
とツッコみが
聞こえてきそうです。

小椋、
何が言いたい?

実は、ESPは、
人類の歴史の長い間、
多数派だったのではないか?
ということです。

強者は、
弱者に置かれた人間を
自分の所有物にする権限がある、
と信じるESPが
多数派だったからこそ
奴隷制がかくも長き間、
古今東西、
維持されてきたわけですから。

そして、制度上の
奴隷制が廃止されても、
社会の一部では
奴隷状態が今も続いている。

売春ビジネスは
その一端であり、

それほどシステム化は
していないにせよ、

家庭内の密室で、
職場のオフィスの密室で、

日々、ESPによる
隷属化が続いている・・・。

・・・

なんだかぜんぜん
気分が上がらない
話になっています。

でも、ESPの信念の本質を
見切るためには、

奴隷制が存在した意義を、
そして、かたちを変えて
存在し続けている意義を、

私たちがよく自覚する、
その試みが
必要になってきます。

・・・

次回がいよいよ
最終回です。

このままだと、
あまりにも話が大きくなったまま
尻切れとんぼなので、

次回の要点を
お伝えしておきますね。

結局、
奴隷制が存在した事情は、

人間が、
他の哺乳類と比べて大脳が発達し、
道具を使用することを覚えた結果、

奴隷制という道具
つまり、
他人を道具として使うことを
社会のシステムとする、
という道具を開発するに至った、
ということですね。

つまり、
弱者を隷属化する、ということは、
人間が道具を使う能力がある、
という特性の、表と裏だ、
ということです。

むむむ・・・
その理解って、
何の役に立つのだろう・・・

なんとか、
話を前向きにして
次回、ラストにしたいと思います。

・・・

毒親対策について
取り組む時、

Do:  
ESPの信念について
分析・整理するためには、
親子関係の文脈から離れ、
人類史のテーマとしての
奴隷制について深掘りすることが
有効であると知る。

Don’t:  
話が大きくなりすぎて
現場で役に立たないと
思い込む。

※最終回を読了すれば、
隷属化する親と向き合っていることが
実際は、何と向き合っていることになるのか
それが見切れるようになることを
目指しています。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、 
ぜひ一度、お問い合わせください。