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2019/10/05

何もしないことに耐えられないあなたへ②:奇跡の夜



さて、
前回に引き続き、
何もしないことに耐える、
というテーマです。

早速、予告通り、
エックハルト・トールの本、
パワー・オブ・ナウから、
引用してみます。
(要約した私訳です)

彼の転機となった、
ある体験について、語っています。

・・・

29才になって間もない
ある夜、
私は、どうすることもできない
恐怖を感じて、
夜中に起きた。

いままでずっと、
不安と抑うつの中で
生きてきたので、
そのようなことはよくあるのだが、
今回は、強烈だった。

夜の静けさ、
暗がりの中の家具の輪郭、
遠くに聞こえる汽笛、

なにもかもが
よそよそしく、
敵意に満ちていて、
無意味で、
嫌悪をもよおした。

とりわけ
嫌悪をもよおすのは、
この、
自分という存在だ。

こんなみじめを背負って
生き続ける意味があるか?

この存在を消滅させたい、
という願望が、
生きようとする本能より
はるかに大きくなっていた。

この私と
もうこれ以上、
生きていけない…、

そんな考えが
繰り返しよぎった。

すると突然、
その考えの奇妙さに
気がついた。

私は、
一人なのか、
二人なのか?

私が、
私と生きていけないのなら、
私は、
二人いるはずだ。

私と、

その私が
一緒に生きてはいけない私、と。

たぶん、
そのどっちかが、
本物なのだろうが…。

この気づきに
あまりにも驚いたので
私の思考は止まり、

エネルギーの渦のようなものに
引き込まれるのを感じた、
最初はゆっくり、
だんだん早く…。

強烈な恐怖にとらわれて
私はふるえ始めた。

こころの声が聞こえた、
何にも逆らうな、と。

虚空に吸い込まれる感覚だ、
自分の外ではなく、
自分の内部の、虚空に…。

突然、
恐怖がなくなった、そして
その虚空に落ちていくのに
身を任せた…。

そのあとの記憶が…ない。

小鳥のさえずりで
目が覚めた。

ダイアモンドが音を発したなら
こんな感じかと思えるような、
いままで聞いたことのない音だ。

目を開けると、
夜明けの光が
カーテンから差し込んでいる…
優しく、愛情にあふれた光だ。

目に涙が浮かんだ。

起き上がり、
部屋を見回したが、
すべてが、
まるで生まれたばかりのように
新鮮で、けがれがなかった。

いろいろなものを
手に取ってみた、
えんぴつ、空のビン…、
そのどれもが、
美しく、生き生きとしていた。

・・・

さて、
いかがでしたか?

皆さんも、
エックハルトのように、
夜中にもんもんとした経験、
あるかもしれませんね。

でも、その翌朝、
世界の美しさに気づいて
涙を浮かべて驚嘆する、
という経験は、
あまりないかも知れません。

エックハルトには、
何が起きたのでしょうか?

何が起きたと
思いますか?

・・・

森田療法の
森田先生なら、

それが
恐怖突入なんですよ、
とコメントするでしょう。

確かに、
エックハルトは、
何かの恐怖を強烈に感じ、

でも、その状態で
ジタバタせず、
何もせず、
何もしないことに
耐えた、とは言えます。

彼の言葉では、
虚空に吸い込まれるに
任せた、ということですね。

その結果、
恐怖はなくなった、
それ以上に、

不安と恐怖にさいなまれつつ
体験していた世界とは
全く別の世界を、
翌朝、
体験することができた。

でも、
何に対する恐怖?

そして、
耐えたらなぜ、
生まれ変われるのか?

・・・

はたまた、
マインドフルネス瞑想を創始した
カバット・ジンなら、

それが
マインドフルという状態です、
とコメントするでしょう。

確かに、
恐怖に打ちふるえていた
エックハルトは、

思考が止まることで、

そして
エネルギーの渦に
身を任せることで、

翌朝を迎えています。

でも、
思考が止まることが、
なぜ、ポイントなのでしょうか?

エネルギーの渦って、
何なのでしょうか?

・・・

この時点での、
簡単な謎解きをしてみましょう。

エックハルトが、
二人の私がいる、
と言っていますね。

不安と抑うつに苛まれている私を、
仮に、ここで、
当事者の私、と呼びましょう。
苦痛の当事者、
という意図ですね。

そして、
その当事者の私と、
とても一緒にやっていけないと感じている、
もう一人の私を、
観察者の私、と呼びましょう。

当事者の私の特徴は、
ひたすら、
過去への後悔と
未来への不安に苛まれつつ、
思考を続けていることです。

まるで、
思考を続けることが、
当事者の私の
心臓の鼓動のようです。

アイデンティティとも
言えますね。

その、当事者の私の、
思考を止めることは、
その私の死である、
とすら、言えます

だから、
恐いのです。

でも、
思考を止めることで
感じることができる
エネルギーがある。

それを、
エックハルトは
エネルギーの渦、
と呼んでいます。

過去と未来に
執着し続ける思考を
停止させた時、

感じることのできる
エネルギー、つまり、
これこそ、
パワー・オブ・ナウ
呼ぶしかないですね。

つまり、
エックハルトは、

思考が止まることで、
当事者の私
消滅する恐怖を感じつつも
そこに突入した結果、

パワー・オブ・ナウに
身を任せ、
当事者の私が消滅することを
受け入れることができ、

観察者の私だけが
マインドフルな状態で
生き残った、
ということですね。

・・・

ちなみに
エックハルトはその後、

二年間、毎日
街の公園のベンチに座り、
その日が移りゆく姿を
至福の中で見守って過ごして、

家族からは
正気を失ったと心配されつつ、

徐々に、
彼の教えを請う人が増えて、
カウンセラーとして
働いていくことになります。

その教えの最初の集大成が
パワー・オブ・ナウ、
というわけです。

・・・

何もしないことに
耐えられない時、

Do:
エックハルト・トールを
思い出す。

Don’t:
何もしないことに
耐えられるのは、
エックハルト・トールだから
できたのだと思う。

次回は、
パワー・オブ・ナウの
内容に踏み込んでいきましょう。

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