2020/08/03
アプリ「みっぷ」に込められた願い⑤:学校ではなぜ集団でいじめが起きるのか
さて、ジラールの話題が
続きます。
前回は、こちら↓
神話には、表と裏がある、
という話題でした。
神話の表が、
社会の階層構造を維持するため、
その裏を、隠してしまう、
そして、そのような神話は、
いま現在でも、
生き続けている、という流れでした。
今回は、その実例として、
学校での集団のいじめについて、
考えてみましょう。
・・・
ジラールの観点からは、
学校での集団のいじめとは、
次のような現象と言えます。
学校のクラス、という集団は、
もともと、とてつもなく
階層喪失が起こりやすい
集団のつくりになっている。
だから、
クラスの階層構造を保つため、
古代の供犠(くぎ)に相当する、
特定の一人を集団でいじめる、
という現象が、
必ず、いつか、
起きてしまう。
それが学校全体で
問題になった時、
いじめはよくない、
みんな、なかよくしましょう
という神話(表)が、
校長先生などの、
クラスより上位の階級の者から
下々の者に通達され、
いじめは、一旦、
おさまる。
でも、
いけにえをかえて、また、
いじめは、起きてしまう。
なぜでしょう?
だって、だれも
神話(裏)を、
見ようとしないから。
そして、誰も、
いけにえにされた者の
ほんとうの苦しみを、
わかろうとしないから。
そして、神話(表)が
宗教ほどの力を
持たないから。
・・・
この場合の、
神話(裏)とは、
何でしょうか?
神話(表)が
隠そうとしていることは、
何でしょうか?
それは、
学校のクラスが、もともと
階層喪失をすごく起こしやすい、
という事情ですね。
階層喪失とは、
安定した対人関係のために必要な、
よい意味での、お互いの立場の違い、
それが見えなくなって、
マウントの取り合いが始まる、
という状況でしたね。
学校のクラスは、
エグいまでに、
マウントの取り合いをするしかない
集団として、
構成されているのです。
同じ地域の、同年齢の人間が
決まった日時に集合し、
学業成績ないしは
部活動の成績の向上、及び、
集団生活のルールを遵守する、
という、
極めて限られた目的のために
共同生活をする。
さらに、成績の
「レベル」を揃えたり、
制服を用意したりしようものなら、
一層、お互いの「違い」は
喪失していきます。
どこで、
その「違い」を見いだすのか、
どこで、
マウントを取りに行くのか。
それは、例えば、
異性関係であったり、
流行の最新情報であったり
するわけですが、
それは、
階層喪失を改善するどころか、
一層、拍車をかけるわけです。
このような状況では、
集団によるいじめが、
起こらざるを得ません。
また、ここまで
階層が喪失して、
均質化した集団の場合、
いけにえに選ばれる者に、
わかりやすい特徴が
あったかというと、
見当たらない場合が、
多くなりますね。
あったとしても、
ものすごく些細な、
という状況でしょう。
これは、
いじめを受けた側からすると
その理由がわからない、
という意味で、
恐ろしい状況です。
・・・
これが、
学校での集団のいじめの、
神話(表)が隠そうとする、
神話(裏)になります。
もっと言うと、
このような階層喪失を招く
学校というシステムが
いまだに存在し続ける、
ほんとうの理由は何か?
というテーマにまで、
つながりますが、
話が長くなりますので、
別の機会にしましょう。
・・・
今回、お伝えしたいのは、
ジラールの理論が、
古代の部族だけではなく、
現代の私たちが生きる
この社会についても、
全く新しい見方を
提供してくれるよ、
ということですね。
そして、当然、
ジラールは、
この、人間の悲しい状況について、
解決する展望を
持っています。
次回は、
パンデミックについて
見て行きます。
次々回の、
精神障害者に対する差別、
というテーマへの
布石になります。
この、最後のテーマまで
たどり着いた時、
その展望を
お伝えする予定です。
・・・
みっぷをきっかけに
ジラールの理論を学ぶ時、
Do:
学校での集団のいじめを例に、
階層喪失と供犠(くぎ)、
階層の回復と神話(表)、
そして、隠された神話(裏)、
という、
ものの見方に親しむ。
Don’t:
次回もジラールの話が続くことに
恐れをなす。(苦笑)
(前回と同じ)
いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、
ぜひ一度、お問い合わせください。