2022/02/27
身体リテラシー入門㉑:「加害恐怖」の由来ー「生」のエネルギーもエッジを作る
さて、身体リテラシーのシリーズ、
21回目です。
なんと、最終回とする予定が
一回分には収まらなくなって、
すみません、
まだ続きます、トホホ。
前回はこちら↓
架空のB子さんの
実際の診療に沿って、
実在する「お母さん」から
「お母さん的なもの」への
「祈り」という、
かなりディープなテーマを
お伝えしました。
今回は予告通り、
B子さんなりの「攻め」について
見ていきましょう。
・・・
B子さんが、
彼女なりの「祈り」を通じて、
「お母さん的なもの」との
交流が深まるにつれて、
今までは
ことばにすることを避けていた
「根源的な不安」について、
少しずつ、
振り返ることができるように
なりました。
まるで、お母さんに
こんなにしんどかったよ、と
報告する感じ、とのことでした。
すると、
発作がまだまだキツかった頃の
あの、しんどい感覚について、
いろいろ、気づくことも
でてきたようです。
・・・
その中でも、B子さんが
一番、印象に残ったのは、
その発作の最中、自分が、
「壊れてしまうのではないか」
「誰かに危害を加えてしまうのではないか」
という何とも説明しようのない
衝動を感じていた、
という気づきでした。
不安に押しつぶされて、
自分が壊れてしまいそうだ、
という感覚は、自分でも
わからなくはないですが、
誰かに危害を加えそう、
つまり、自分の中のエネルギーが
自分のコントロールを超えて、
相手に放出されて、それが
相手にダメージを与える・・・、
この感覚は、自分でも
理解困難でした。
そして、その感覚は、
ずいぶんと発作から遠ざかっている
今でも、実は、B子さんの中に、
なくはない、ちょっと、心配・・・、
とのこで、この気づきを
担当医に報告したのでした。
・・・
担当医は、まず、今までの
B子さんとのカウンセリングの経過を
復習するように、一緒に
振り返りました。
そして、エッジというテーマが
浮上してきた頃のことを
共有しました。
そして担当医は
次のように、
B子さんに伝えました。
・・・
エッジとは、
自我のゾーンと、
自我には含まれないが
広い意味では自分に属するゾーン、
その境界、
という意味でしたよね。
根源的な不安って、
自我がとても受け入れることができない、
だから、エッジの向こう側にいる、
と感じられるわけですが、
自分のからだはいつか死ぬ、という
その現実は、
自分に属するゾーンなわけです。
だから、
根源的な不安は、無視できない・・・、
エッジの向こうから
付きまとってくるわけです。
でも、同じ状況が、
「死」に関することでなく、
「生」に関することであっても
起こりえる、ということが
ポイントです。
自分のからだはいつか死ぬ、
という現実は、
自我がコントロールできない
「死」に関することですよね。
それと同じで、
自分のからだの中で
「生」に関することであっても、
自我がコントロールできない場合は、
エッジを作ってしまう、
ということです。
つまり、その
「生」に関することが
恐ろしく感じられるように
なってしまう。
・・・
担当医は、
少しキョトンとしている
B子さんの視線が
担当医の視線に重なるまで
戻ってくるのを待って、
さらに、続けました。
自分のからだの中の
「生」に関するエネルギーって、
どんなものが、あるでしょうか。
生物として生きるために必要な
欲求、といってもいいでしょう。
すぐ思いつくのは
食欲、ですね。
だから、過食症で
自分の食欲をコントロールできないと、
食欲のある自分が
恐ろしくなる、ということを、
過食症の方は、
感じてしまう場合が
あるわけです。
当然、
自分のからだの中の
「生」に関するエネルギーって、
食欲以外にも、
いろいろ、ありますよね。
例えば、性欲。
例えば、物欲、金銭欲。
あるいは、
生存のために必要なサインである感情、
それも、
「生」に関するエネルギーと
いってよい。
愛や憎しみ、
怒りや嫉妬など、
感情がコントロールできないと、
「そんな自分が恐ろしい」と
感じてしまう状況は、
あり得るわけです。
ここまで説明して
B子さんがフムフムと頷くのを
確認してさらに、
担当医が続けます。
・・・
そしてもう一つ、
追加しておきましょう。
「生」に関するエネルギーで
重要なのものに、
仮にそう呼ぶとすると、
「戦う」エネルギー、
これを忘れては
ならないでしょうね。
担当医は、
なんだか歴史教師風の、
太古の昔の人類に思いをはせるような
遠い目をしました。
人類の歴史の中で、
「生きる」ことと
「戦う」こととが
同義だった時代って、
すごく長いと思いますね。
まずは、
人間を食ってしまう可能性のある
野獣たちとのサバイバル。
次は、部族間の生存競争に
生き残るための戦闘。
この場合の戦うとは、
基本的には、
相手を殺すこと。
もちろん、現代では
人間を殺すと殺人罪で
裁かれるわけですが、
「戦う」エネルギーが
必要なくなったわけでは、
ないですよね。
それどころか、
別のサバイバルゲームが
熾烈になっているとも言える。
経済的な安定を得るための、
体力よりも知力に重きを置いた
ありとあらゆる戦いが、
日々、社会の中で
繰り広げられていますよね。
ところで、唐突ですが、
B子さん、なんで現代では
スポーツが一定の人気を
獲得し続けていると思います?
私の考えるところでは、
この、人間に必要な
「戦う」エネルギーを、
実際の殺戮や戦闘ではないかたちで
発露させるために
スポーツが不可欠だから、
だと思いますね。
スポーツには多くの種類が
ありますが、原則、
勝ち負けがある戦い、ですね。
特に格闘技は、
まさに戦闘そのものを
ゲーム化していると言える。
・・・
担当医:
B子さんって、
学生時代、何か
スポーツとか、されていましたか?
B子:
いえいえ、私って
すごく運動オンチで
走るのも、球技とかもぜんぜん、ダメで
体育の時間がすごくいやでした・・・
何も楽しくないので(苦笑)
担当医:
B子さんって、
誰かとケンカをしたり
真剣に怒ったりとか、
そんな思い出って、ありますか?
B子:
いえ、それも、私は・・・
あまり、怒るとか
そういう感情を出したことは
ないですね・・・
それって、
何か、関係あるんでしょうか?
担当医:
だとすると、B子さんの
「戦う」エネルギーって、
いま、どこで、どうなって
いるのでしょうね?
B子:
そうですね・・・
私って、戦う、という感じが
あまりないのかもしれませんね・・・
担当医:
でも、B子さんは、
こうやって、いま、生きていますよね?
だから、「戦う」エネルギーって
持っているはずですよね?
B子:
そうですよね、だって
人類が持っているんですよね、
先生のお話からすると・・・
担当医:
これからお伝えすることは、
一つの仮説になります、
違っていたら、修正していきましょう、
でも、これからの治療の上で
とても重要なポイントになりそうです。
つまり、
B子さんが、時に感じる
「誰かに危害を加えてしまうのではないか」
という感覚、
ちなみに、この感覚って、
加害恐怖、と呼ばれていますが、
まあ、その名称はどうでもよいです、
ポイントなのは、
先ほどから話題になっている
「戦う」エネルギー、
それがB子さんの場合、
B子さん自身はそれを持っていながら
その表現の仕方をよく身につけていない、
だから、
B子さんの自我にとっては、
そのエネルギーが得体の知れない、
ゆえに、恐ろしいものとして感じれる、
だから、加害恐怖、という体験に
なってしまう・・・。
B子さん:
そうなんですか?
自分ではよくわかりませんが・・・。
でも、そうだとすると、
私、どうすればいいのでしょうか?
・・・
とても、今回で
最終回にすることは無理でした、
すみません(苦笑)。
次回は、
B子さんのその後の展開を
追いかけて、
多分、最終回になると思います。
・・・
根源的な不安に
さいなまれている時、
それと共生するための
身体リテラシーのスキルに
取り組むにあたって、
Do:
根源的な不安も、
より深掘りしてみると、そこに
「死」に関するものだけでなく、
「生」に関する、
自我がコントロールできない
エネルギーが混在している場合がある、
と知る。
Don’t:
「守り」が不十分なまま
根源的な不安を
深掘りして、よけいに
不安が増してしまう。
※B子さんは、
「お母さん的なもの」への
祈りの感覚を身につけて、
十分な「守り」を得ています。
なので、根源的な不安について、
まずは言語化する、という
「攻め」に転じることが
できている、ということですね。
※さらに、その深掘りから
浮彫になった「加害恐怖」について、
それを、何らかのかたちで
表現していこう、という流れが
次回になります。
それは、チャンネル・スイッチという
「攻め」のテーマになるわけです。
いかがでしたでしょうか?
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