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2022/07/18

「毒親」とは何か⑪:目の前の一人の隷属化パーソナリティ(ESP)の背後にあるもの



さて、
毒親のシリーズが続きます。
今回は、第11回目で
ようやく、最終回です。

前回は、こちら↓

前回は、
隷属化パーソナリティ(ESP)の、
子は所有物だ、という信念について、

それを見切るために、
親子関係から一旦、離れて
視野を拡大し、
奴隷制のテーマに辿りつきました。

そして奴隷制が、
太古の昔から、
つい150年前まで存続してきた
その事実を受け止めるなら、

実は、ESPは人類史の中で
最近まで多数派だった可能性がある
と指摘しました。

どんな事情があって、
そうなっていたのか?

その説明として、
人間が道具を使用することを
覚えた結果、

奴隷制という道具
開発してしまった、
という考え方を紹介しました。

今回は、その続きから
始めましょう。

・・・

1984年に発刊された、
デビット・ブリオン著、
『奴隷制と人間の進歩』という
本があります。

古代から20世紀までの
奴隷制を徹底的に調査した結果、

なんと、
18世紀までは、奴隷制
人間の進歩のあり方の一つだと
認識されていた、というのです。

奴隷制は、

古代ギリシアでは
哲人たちがその存在を当然とし、

アフリカとの奴隷貿易を通じて
英国の産業革命を支え、

その後は、米国の繁栄を
支えた、と。

18世紀以降、ようやく
奴隷制廃止論者たちの
数百年に渡る努力の結果、

奴隷制は廃止されたが、
形を変えて、今も
存在し続けている、と。

・・・

このシリーズの文脈に
引き戻して、まとめるなら、
次のようになります。

人間は、
道具を使用する能力を
持ってしまった。

それ自体は、
よくも悪くもない、
人間の本質だ。

その道具は、
石器や鉄器などの
素朴なものから、

航海術や建築術、
ひいては
蒸気機関などの
高度な技術にまで
発達していった。

その結果、
巨大な文明を
築くことができた。

と同時に、
その「進歩」を支えた
道具・技術として、

そこには奴隷制
含まれていた。

そのような奴隷制を
当然と認識する者は、

同胞であっても、
奴隷にふさわしい立場の者なら、

このシリーズの文脈で
言うなら、弱者であれば、

隷属化してよい、
その権限を自分は持っている、
と「信じる」ことになる。

それが、「進歩」に
貢献するからだ。

このような信念を持つ者が、
遙かな昔より、
連綿と人類に引き継がれており、

その末裔が
このシリーズで命名した
隷属化パーソナリティ(ESP)
ということになるわけです。

だから、ESPには、
ものすごく膨大な数の
先祖がいるわけです。

彼らが「進歩」を
支えてきたとも言えます。

・・・

さて、視点を目の前の
一人の隷属化する親に
戻しましょう。

その親が、ESPだとして、
一体、被害を受ける子は、

目の前のESPを通じて、
何と向き合っていることに
なるのでしょうか?

単なる一人の人間ではなく、

古代より連綿と続いてる、
道具を使用する能力を持ってしまった
人間というものの、
如何ともしがたい闇の側面、

つまり、
人間の悪と、
向き合っている、と
言うしかありません。

イメージで例えるなら、
目の前の一人の個人としての
ESPだけではなく、

それを背後から包むように
取り憑いている、
いわば悪霊と、同時に
向き合っているのだ、
ということです。

・・・

このような理解ができると、
何のメリットが、
あるのでしょうか?

隷属化する親に
苦しめられている状況で、

悪いのは自分だ、と
思い込むのではなく、

悪いのは親だ、と
親一個人の責任に
帰するのではない、

悪いのは、
人間が種として
避けがたく抱えてしまった、
」のせいなのだ、
と整理する道が
開ける、ということです。

詭弁に聞こえるかも
知れませんし、

目下の苦痛は
何も変わらないかも
知れません。

でも、
自分と親が向き合っている
その土俵から、
離れる視点を持つことが
できます。

自分が悪い、
いや、親が悪い、
その行ったり来たりの泥沼から、
ちょっとだけ、
距離を取ることができます。

その距離は、
ちょっとだけ、苦痛を
マシにする可能性があるよ、
というメッセージをお伝えして
このシリーズを終わります。

・・・

毒親対策について
取り組む時、

Do:  
悪いのは自分でもなく、
親でもない、
個人を超えた、
人間という種が抱えている
悪のせいなのだ、
という視点を持つ。

Don’t:  
「悪」と抽象的に言われても
ピンとこないと落ち込む。

※実は、このテーマは
毒親に限らず、
自分が悪い、いや
相手が悪い、その
行ったり来たりの泥沼に
陥っている際に、

その泥沼自体を
俯瞰する観点を持つ、

その結果、
自分と相手、その双方が陥っている、
一つの状況の、
より本質的な要因に
注意を向けることができる、
そんな、療養上のコツと
つながっています。

機会があれば
それをテーマに
取り組んでみることもできます。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、 
ぜひ一度、お問い合わせください。