2019/10/05
何もしないことに耐えられないあなたへ⑥:自分のからだへ注目しよう
さて、
何もしないことに耐える、
というテーマが、続きます。
耐えられるように
なるためには、
「考える」の暴走を
止める必要がありましたね。
そのための対策として、
A:「観察者の私」を呼び起こす
B:「感じる」を活性化する
C:「信じる」を修正する
この3つがある、
と整理して、前回は
Aについて扱いました。
今回は、
Bについて、
取り組んでみましょう。
・・・
前々回、
Bについて予告した時、
ゲームの効果について、
ちょっと、触れましたね。
引用すると、
ゲームが与えてくれる、
視覚と聴覚、
その刺激に全神経を集中すると、
過去や未来を「考える」機能が
停止して、
「今」に注意がフォーカスされる。
(引用終わり)
確かに、
そうなります。
例えば、古典的なゲームである
テトリス。
いろいろな形をしたブロックが
一つ一つ、降ってくる。
その形をよく見て、
積み上げていく。
ルールは、シンプルで、
一つの段がそろうと、
その段は、消滅するけれど、
へたくそに積み上げると、
天井にブロックが届いてしまい
ゲームオーバー。
ゲームが進むにつれ、
降ってくるスピードが速くなり、
息つくヒマもありませんね。
まさに、
「今」降ってきているブロックと、
「今」積まれているブロックの状態とに
注意をフォーカスすることを、
いわば、強制させられます。
ゲームに集中できたなら、
どうすることもできない過去や、
誰にもわからない未来に向かって
「考える」機能が
暴走し続けることは、
確かに、回避できますね。
この状態を、
「感じる」が活性化している、と
言えなくは、ない。
で、実際、
疾患を問わず、療養生活を
余儀なくされている方の多くは、
日中、ゲームに費やす時間、
多いですね。
「考える」が暴走するよりは、
楽だからです。
・・・
でも、
エックハルト・トールは
みんなに、ゲームをしようと
勧めてはいません。
なぜでしょうか?
彼の言う「今」とは、
このゲームの最中に
体験できる「今」とは、
全く、異なるからです。
どこが、違うのでしょうか?
・・・
ゲームの最中では、実は、
「考える」という機能は、
停止しているわけでは、
ありません。
確かに、過去や未来に
暴走はしていませんが、
どこにブロックを置くか、
必死に、今、この瞬間について、
考えているわけです。
この時、
「考える」という機能は、
ゲームという活動を与えられることで、
暴走を回避し、
まっとうに機能は、していますね。
ゲームが与える「今」に
集中している、と言えます。
でも…、ここで
問題が出てきます。
24時間、365日、
ゲームができるか?
そう、
そんなこと、無理なのです。
だから、ゲームに疲れて、
画面から離れる瞬間が生じる。
すると、どうなる?
集中できる「今」を失った
「考える」が、またもや、
暴走を始めるわけです。
これが、まさに、
「何もしないことに耐えられない」
という苦しみが生まれる、
決定的瞬間なのです。
何か、活動をすることで、
「考える」が集中できる「今」を
与え続けないと、
「考える」が暴走する、
そんなシステムになっているわけです。
身に覚えのある方、
多いのではないでしょうか。
辛くても、
仕事をしている方が落ち着く、
とか。
仕事以外の日は、
趣味に没頭しないと落ち着かない、
とか。
・・・
エックハルト・トールが
捉えている「今」は、
それとは全く、異なります。
何も、活動しない時でも、
すでに、
そこに起きている「今」、
それに意識を注ぐ、
という感じです。
そんな「今」って、
何でしょうか?
ズバリ、
からだ、ですね。
本人が自覚的に
何も活動していなくても、
肺は呼吸し、
心臓は拍動し、
胃や腸はむずむず動き、
全身に張り巡らされた血管は
温かい血液を送り、
それで体温は維持され、
からだ全体は生気に満たされる、
その、からだの活動、全体、
それが生み出し続ける「今」、
ですね。
この「今」に注目する時、
「考える」ことは、
何も、なくなってしまいます。
そう、
「感じる」しか、なくなるのです。
別の言い方をすると、
何かの活動をする当事者の私から、
すでに起きているからだの活動を
感じる、観察者の私に移行する、
ということです。
この、
観察者の立場に
立つことができれば、
「考える」機能の
スイッチを切ることができます。
つまり、
活動をすることで
「考える」の暴走を食い止めることと、
活動に疲れて
「考える」が暴走することの、
無限ループから、
脱出できるのです。
その脱出できた境地が、
エックハルト・トールの語る、
あの、夜の後の、
朝の様子ですね。
(一部、再掲します)
起き上がり、
部屋を見回したが、
すべてが、
まるで生まれたばかりのように
新鮮で、けがれがなかった。
・・・
何もしないことに
耐えられない時、
「感じる」を
活性化するために、
Do:
からだが生み出し続けている
「今」に注目する。
Don’t:
活動によって与えられる
「今」に頼り続ける。
<編集後記>
からだの「今」に、
具体的に、
どうやって注目するのか?
その一番、取り組みやすい方法が、
呼吸法になるわけです。
そして、それはすでに、
このメルマガで
ご紹介していますね。
エックハルト・トールも
彼の本で、呼吸について、
多くを割いています。
いかがでしたでしょうか?
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ぜひ一度、お問い合わせください。