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2020/02/10

スピリチュアル・リテラシー入門②:五感で感知できる世界を超えて



さて、前回から
新しいテーマが始まりました。

前回は、こちら↓

ブログ化したタイトルは、
スピリチュアル・リテラシー入門、
としています。

物体を超えた領域に対する
感受性を育てて、

人には、
死んだら消滅する部分と
消滅しない部分がある、
という見方に親しもう、

というお話でしたからね。

今回は、早速、予告通り、
小椋のあるエピソードから
始めましょう。

・・・

たぶん、5〜6才の頃
だったと思います。

ピアノを習っていて、
家にはアップライト型の
黒いピアノがありました。

練習に飽きると、
ピアノで遊び始めるのですが、
お決まりの遊びが
ありました。

単音を、やや強めに、
コーンと鳴らして、
その音が減衰していくようすを、
ひたすら聞く、
というものです(苦笑)。

打撃音なので、
最初の瞬間は、倍音が多く、
複雑な音色なのですが、
たちまち、のっぺらぼうな
音色に変わり、
どんどん、消え入るように
小さくなっていく。

まだ、鳴ってる?
もう、鳴り止んだか?、と
注意を集中する・・・。

・・・

この遊びがおもしろいのは、
ここからです。

確かに、もう、
ピアノの音は、消えた。

でも、耳のよい人なら
まだ、聞こえているかもしれない?

人には無理でも、
なにかの装置なら、
感知できるか?

沈黙の中で、
ものすごく、感覚を集中しながら
いろいろなことを
連想するわけです。

すると、遠くから
海鳴りが聞こえてくる。

(田舎の実家は、5分も歩くと
日本海の海辺に出られました)

今のピアノの音は、
海鳴りに吸収されて
聞こえなくなった?

本当は、まだ、
鳴っているんじゃないか。

実は、自分が今まで鳴らした
ピアノの音は、すべて、
海鳴りと一緒になって、
まだ、どこかで鳴っている?

沈黙って、実は、
ものすごい轟音なのか?

・・・

この遊びの体験は、
誰にも話しませんでした。

誰も、この感覚を
理解できないだろうと
わかっていました。

でも、すごく深遠な世界の
入り口に立っている、
という感覚は、ありました。

後年、10代後半になって、
書物を通じて、例えば、
武満徹という音楽家は
似たような感覚を持っているんだと
知りました。

そして、この感覚は、
今の小椋も、まったくそのまま、
持っています。

・・・

さて、こんな奇妙な
エピソードの紹介が、
何の役に立つのでしょうか?

皆さんが、小椋と
全く同じ体験を持つべきだ、
という話ではありません。

でも、五感で感知できる世界が
世界の全てではない、
という体験は、重要だ、
とお伝えしたいわけです。

・・・

このエピソードって、
では、そもそものテーマ、
人って、死んだら無になるのか、
と、どう関連するのでしょう?

ピアノの打撃音を、
音ではなく、
一人の人間に、置き換えたら、
どうなるでしょうか?

何ものかが、
一人の人間を生み出して、
(打鍵して)

その人間が、
死に向かって進んでいき、
(減衰し)

五感で感知できなくなった後も、
そのエネルギーが別の形をとって、
どこかに
存在し続けているのではないか・・・
(海鳴りと一緒に)

という話に、
なるわけです。

・・・

人は死んだら
無になるという見方で
苦しんでいる時、

Do: 
まずは、
五感で感知できる世界が
世界の全てではない、
という考え方を受け入れてみる。

Don’t: 
五感で感知できる世界が
世界の全てではない、
という体験を、
自分なりに得ることを
最初からあきらめる。

それでは今週も 
マイペースで乗り切りましょう!