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2021/12/20

身体リテラシー入門⑪:安心感へ向けて開くチャンネル



さて、身体リテラシーのシリーズ、
今回は第11回目です。

前回はこちら↓

前回は、呼吸法のシリーズの中の、
大自然との回路を取り戻そう
を取り上げました。

そこでは、人間が、
呼吸器系や消化器系、
あるいは、
人と人との交流という枠組を通じて、
大自然との回路を結ぼうとする時、

不幸にも、
その回路を流れるエネルギー
それ自体で傷ついて

その回路を結ぶことが
恐くなってしまう
という例を
具体的にご紹介しました。

きっと読者の皆さんも
思い当たるフシが
あったのではないかと思います。

そこで今回は、
その状況への対策に
取り組みたいのですが・・・

その前に、
特に説明もなく使ってきた
大自然との回路を結ぶ
という言い方について、
補足したいと思います。

実は、この補足の中に
このシリーズで一番、
重要なポイントが入ってきます。

また、シリーズの残りは
攻め」に転じるのですが、
今回は、その切替の
節目にもなりますので、

このシリーズを簡単に
振り返ることも
セットで、やってみましょう。

・・・

根源的な不安
これをなんとかできないか、
という切実なテーマが
このシリーズの出発点でした。

突き詰めると、その不安は
自分の身体がいつか死ぬ、という予感

自我ではないゾーンから
エッジを超えて、
自我のゾーンに迫ってくる、
その圧倒的な不安でした。

その不安は、
6つのチャンネルのうち、
身体感覚のチャンネル、
特にその中の、内受容感覚
深く関連している。

不安自体が、感情として、
内受容感覚と密接ですし、

身体の死、という予感は、
内臓の死、つまり
内受容感覚の消失、という意味で、
ある種の、内受容感覚と言ってよい。
※このようなまとめ方は、
今回が初めてですが。

だから、
内受容感覚のキャパが少ない、
つまり、十分に開発されていない方は、
この不安を強烈に感じやすい。

だから、対策としては、
内受容感覚を育てる、
つきつめると、呼吸法がいいよね、
というメッセージに
なっていたわけです。

むむむ、
こんなに簡潔に整理すると
10回も必要だったのかと
妙な気分になりますが・・・(苦笑)

・・・

ただし、
内受容感覚を育てるといっても、
段取りが必要、つまり
攻め」と「守り」の区別、
でしたね。

そして「守り」とは、
この不安に完全に
飲み込まれ切ってはいない
自我のゾーンを確認する
という段取りでした。

6つのチャンネルから来る情報に
選択的注意を向ける
それができていれば、

自分は無人島だが、
沈没していない自分を
確認することになる。

そして、それが
安心感につながる、
という流れでした。

・・・

さて、ここからが
今回の本題です。

実は、この「守り」は、
とても矛盾したことを
やっていることになっています。

どういうことでしょうか?

沈没しそうな自我が、
沈没していない部分を確認しようとする。

でも、その確認には、
自分の選択的注意を何かに
向ける必要がある。

何かに向けるとは、
その対象と、自我との間に
回路が結ばれる、ということです。

自我が、
完全に自閉していては、
完全に回路を閉じてしまえば、
それは、できないですよね。

でもその一方、
自我がいま
取り組んでいることは、

エッジにはふたをして、
根源的な不安が押し寄せてくる
内受容感覚との回路を、
一旦、遮断することだ・・・。

どこが、矛盾しているか
わかりますでしょうか?

「守り」の態勢では、
一部の回路は、閉じるが、
一部の回路は、こっそり開く、
ということなのです。

そして実は、安心感とは、
一部こっそり開く回路を
徹底的に開いて、
自我ではない何ものかと
しっかりつながることで、
得られる。

その意味では、
その瞬間、自我は
自我ではないゾーンと
積極的に回路を
開いていると言えるわけです。

こんなふうに整理すると
ものすごく、神業みたいに
器用なことを
していることになりますね。

・・・

せっかく
無人島のイメージが
共有されていると思うので、
そのイメージで例えてみます。

荒れた海が迫ってくる。
その海鳴りだけでも震え上がる。
海が恐い。

耳を手で覆い、
奥歯を噛みしめて、
じっと耐える。

でも、生き延びるためには
水が必要だ。

急に雲行きが怪しくなり
雨が降り出した。

雫が首筋をぬらす。
その液体の感覚にゾッとする。
水だ、海だ・・・。

でも、落ち着いて考えると
それは、海水ではない。
生き延びるために必要な
水だ。

葉を伝う雫に
注意を向ける。

それを手のひらに取り
飲み込む。
乾いた喉にしみいる。

雨筋をたどって
首をあげる。
空一面、真っ黒な雨雲だが
それは、命の水を
与えてはくれている。

海は見ない。
だが、
雨雲には注意を注ぐ。

流れていく、早い速度で。
呼吸を整える。
全身を雨がぬらす。
雨は受け入れよう。
(この回路は開こう・・・)
そして、まだ死ぬのは早いと
つぶやいていそうな
雨雲も受け入れよう・・・。
(この回路も開こう・・・)

・・・

ロビンソン・クルーソーは
実はPSMだった、みたいな
小話ですが(苦笑)、

要は
守り」のポイントは、
閉じる回路は徹底的に閉じるが
開く回路は徹底的に開く
ということを、お伝えしたいのです。

そうしないと
安心感につながらないからです。

でも、
「大自然との回路を結ぶ」中で
傷ついたPSMの方は、
そんなに器用にできないことも、
よくわかります。

だから「守り」の時期は
焦らずに取り組むことを
お勧めします。

自分にとって、
エッジにはふたをしつつ、
開ける回路は何か?

どのチャンネルの
どんな情報なら、
受け入れることができるか?
というテーマですね。

・・・

このように整理すると、
人間にとって身体が、
いかにやっかいなものか
見えてきます。

身体は、
大自然と回路を結ぶための
大切なインターフェースだが、

かなりの部分が
人間にとって無自覚なまま
放置されている。

だから、時に、
根源的不安を突きつけてくる一方で、
それに対する安心感の源泉ともなる、
ということですね。

・・・

次回は、いよいよ
攻め」に転じましょう。

「守り」でつちかって
開けるようになったチャンネルが、
チャンネル・スイッチの技法で
活きてきます。

・・・

根源的な不安に
さいなまれている時、

Do: 
「守り」の時は、
閉じるチャンネルと
開くチャンネルを
明確にコントロールし、
開くチャンネルは
徹底的に開くことで
安心感の源泉とする。

Don’t: 
「守り」の時に、
すべてのチャンネルを閉じて、
あるいは、
閉じるべきチャンネルを
開いてしまって、
不安を増悪させてしまう。

いかがでしたでしょうか?
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