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2016/11/22

病識の改善のために:「ジョハリの窓」で整理しよう

さて、今回は、
「病識」についてのお話です。

精神科医療では、
ご本人がしっかりと、
ご自身の病状について理解し、
それにもとづいて、
療養生活を送ることができている場合、
「十分な病識がある」と表現します。

では、病識が不十分な場合とは?

いろいろな程度があります。

例えば、

A 診断を告げられただけで立腹し、
診察室から退席する。

B 通院は続けるが、
自分が納得のいく助言のみ受け入れ、
それ以外は拒否する。

C 知的理解も、療養態度も申し分ないが、
こころの底では、
「病気の自分」を否定し続けている。

(ただし、この議論は、
前提として、診断が正確で、
伝え方も配慮が行き届いていて、
かつ、ご本人に、
知的な理解力が十分ある、
という条件が必要です)

誰でも、
具合のよくない自分は、
嫌いです。見たくないです。
それを、他人に指摘されるのは、
もっといやですよね。

でも、その「病気」の自分が、
あまりにもしんどい時、
誰にも口外しない保証があり、
そこから救い出してくれる期待がもてる、
専門家に診てもらう・・・
それなら、まだ、許せる・・・

元来、誰でも、
自分の病気についての、
自分の思いは、複雑です。

このあたりの事情を
うまく整理できる、
便利なツールがあります。

「ジョハリの窓」という
心理学のモデルをご存知ですか?

「自分」というものを、
「四つの窓」に分類したものです。

<開放の窓>
自分も他人も知っている自分
<盲点の窓>
自分は知らないが、他人は知っている自分
<秘密の窓>
自分は知っているが、他人は知らない自分
<未知の窓>
自分も他人も知らない自分

表にすると、こんな感じです。

自分( ) |自分(-)
他人( ) 開放の窓 |盲点の窓
他人(-) 秘密の窓 |未知の窓

くわしくは、こちら。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ジョハリの窓

では、
「病識が不十分」という状況は、
ジョハリの窓を使うと、
どう説明できるでしょう?

「盲点」の自分を、
「開放」の自分に取り込むこと、
それに強い抵抗がある状態、
と説明できます。

ご自身の経験で、
こころあたり、ありますか?

自分では、そんな症状、
ないと思っていたのに、
診察で家族から指摘され、
ショックと怒りでふるえながら、
「そんなことない!」
「お前に言われたくない!」
と声を荒げる・・・。

この抵抗は、
どこから来るのでしょうか?

「盲点」の自分を、
自分の一部として認めようとする時、
「開放」の自分が、ひどく傷つく。
その痛みから来る、怒りと抵抗、
と言えるかもしれません。

逆に、
そのような自分の一部だからこそ、
「盲点」のエリアに存在している
とも言えます。

また、誰に指摘されるかも、
その痛みに大きく影響します。

この人ならわかってくれる、と
「秘密」の自分の多くを
打ち明けている人なら、
その指摘のダメージもまし、
という場合がある。
(逆の場合もある!)

他の誰よりも
「秘密」の自分を隠している人なら、
その指摘のダメージも倍増、
という場合もある。

人って、複雑ですね。

このように、
ジョハリの窓を使うと、
自分が、自分の病気について
どのように受け止めているのか、
整理できます。

では、簡単なワークを
やってみましょう。

自分の病状について、
他人からいつも指摘を受けるが、
自分ではどうしても
それを受け入れ、修正しようと
努力することができない、
そんな症状を一つ、
あげてください。
(「盲点」にある症状、
ということですね)
次に、
自分でわかる範囲でよいので、
「開放」の自分について、
キーワードをいくつか
あげてみて下さい。

そして、

Do:
その「盲点」の自分の何が、
「開放」の自分のどこを、
傷つけるのか、
勇気をもって
探ってみる。

Don’t:
「盲点」の自分を指摘された時、
いつもと同じ反応を、
相手に返し続ける。

さて、では、
今回のタイトルの質問ですが、

「盲点」を受け入れ、
病気を受け入れると、
病気は、治るのでしょうか?

これは、次回、
一緒に考えてみましょう。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、
ぜひ一度、お問い合わせください。