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2020/08/17

アプリ「みっぷ」に込められた願い⑦:神話としての精神医学



さて、ジラールの話題が
もう少し、続きます。

前回は、こちら↓

前回は、パンデミック
いかに階層喪失を引き起こすかを
お伝えしました。

感染症が、社会の全員を
同じ土俵に置いてしまうから、
でしたね。

その結果、例えば、
医療従事者をいけにえにしつつ、
同時に、それを奉るという、
現代に蘇った供犠(くぎ)
起きました。

これが、神話(表)となって、
医療従事者の、ほんとうのことを、
(つまり、神話(裏)を)
なかったことにしてしまう。

この状況と、
とてもよく似た状況が、

精神疾患や、
精神障害者を取り巻く状況で
起きているよ、

というお話が、今回になります。

※簡便のため、
精神疾患や、
精神障害者を取り巻く状況、
のことを、
メンタル領域」と、
このシリーズでは
呼ぶことにします。

この、メンタル領域について、
パンデミックと
対比させながら、
話をすすめて行きましょう。

このシリーズの、
ハイライトになります。

・・・

まず、パンデミックでは、
「誰もが感染する可能性がある」
という状況が、
階層喪失を
引き起こしています。

メンタル領域では、何が、
階層喪失を
引き起こすのでしょうか?

「誰もが気が狂う可能性がある」
という状況、
ですね。

前回の例を、そのまま引用すれば、

有名な芸能人であろうが
一国の首脳であろうが、

美人であろうが
大富豪であろうが、

学歴優秀であろうが
スポーツ万能であろうが、

気が狂う可能性がある、
ということです。

・・・

ここで、早速、
三点、補足が必要です。

まず、一つ目は、
「気が狂う」という表現です。

メンタル領域では、
特に専門職では、
この言葉は、ほとんど
禁句、でしょう。

でも、

通常の社会通念からは
まったく理解できない
言動をとっている人を見た時、

多くの人は、
正直なところ、

正気じゃない・・・
気が狂っている・・・

という言葉が、
脳裏をよぎっているハズです。

例えば、公園で・・・

砂場の砂を食べている人。
異食、という精神症状があります)

陰茎を露出して
大声で歌っている人。
躁状態で、あり得ます)

そんな現場に遭遇した時、
ものすごく、動揺しますよね。

こんな人がこの世にいるんだ、
という衝撃、

自分の社会通念が
根こそぎゆさぶられる不快、

同時に、
自分の社会通念って、実は、
相対的なものではないか、
という奥底からの不安、

そして、自分も場合によっては
ああなってしまうのことがあるのか?
という一瞬の恐怖、

それをすぐさま、
いやいや自分にはあり得ない、
自分は正気だから、という
自己暗示で否定する・・・、

これらの思考と感情が瞬時に
全身を駆け抜けるのです。

この人間の反応を、
適切に言葉にしようとすると、
「気が狂う」という表現を用いて、

「あの人は気が狂っていると思った」と、
言葉にする他、ありません。

・・・

補足の二つ目は、
「誰もが気が狂う可能性がある」という
言い方の、
「誰もが」という点です。

皆さん、
どう、思われますか?

・・・

話が、ちょっと飛びますが、
イタリアの精神保健活動の中で、
次のような標語があります。

近づいてみれば
誰一人ふつうな人はいない

これ、なかなか優秀だな、
と思います。

精神保健活動をするスタッフが、
精神障害者の方に抱きがちな
先入観を、戒めているわけです。

どうせみんな、
社会通念からズレている部分を
持っている、
健常者がふつうで、
精神障害者がふつうでない、
という先入観を、捨てよう、
という標語なのです。

そして、実際、
それが、実情です。

・・・

これ、裏を返せば、
みんな、
自分の抱える
社会通念からズレている部分が、
何かの拍子に、
さらに大きくズレてしまう可能がある、
ということを意味します。

つまり、
誰もが気が狂う可能性がある、
ということです。

そして、多くの人は、
それ、感じているハズです。

「気が狂うかと思った」という表現は、
軽いノリで、日常で
よく聞くセリフですね。

また、診察室では、
真顔で訴えられることもよくあります、
「気が狂いそうで恐いんです」と。

気が狂うかもしれない恐怖、
というのは、決して、
他人事ではないのです。

特に、
「気が狂った言動」(精神症状)、
というものは、原因がほとんど
わかっていません。

つまり、
自分でコントロールできない。

それって、恐いですよね。

・・・

補足の三つ目は、
パンデミックとの比較です。

もちろん、
メンタル領域で
「気が狂う」という状況は、
感染症では、ありません。

でも、
「誰もが感染する可能性がある」
という状況が引き起こす
階層喪失のインパクトと、

「誰もが気が狂う可能性がある」
という状況が引き起こす
階層喪失のインパクトは、

同レベルです。

と言うより、後者の方が、
大きいでしょう。

だって、パンデミックは
いずれ、収束しますが、

誰もが気が狂う可能性は、
人類が誕生して以来、
ずっと、存在し続けているからです。

だから、
「誰もが気が狂う可能性」による
階層喪失の危機に対しては、

社会は、
すごーく入念な対策を
持っています。

パンデミックにおいて、
医療従事者をいけにえにしつつ
奉る、という、
一過性の神話(表)などの
小細工程度ではない、
対策、ですね。

・・・

その対策とは、
何か。

詳しくは、次回、
お伝えしますが、
概要を、まとめておきます。

「誰もが気が狂う可能性がある」
という階層喪失から、
社会を守るためには、

気が狂っている人と、
気が狂っていない人とを、
分別する必要があります。
(それが、実際にはできないのに。)

そこで、ここ150年の間に
準備された対策が、
精神医学、ということです。

気が狂っている状態を
精神疾患と捉えて、

身体疾患と同様に、
精神疾患も、
診断基準を満たせば、
異常

満たしていなければ、
正常

という分別システムを
構築したわけです。

・・・

もちろん、
ここでいけにえにされるのは、
精神疾患と診断された、
精神障害者、ということになります。

その、供犠(くぎ)の効果としては、
精神障害者と健常者との
階層が誕生して、
社会の階層喪失が、回避できる。

そして、健常者に属する者は、
「誰もが気が狂う可能性がある」
という不安から、解放される。

この、供犠(くぎ)に伴う
神話(表)は、
何でしょうか?

精神障害者は、
気が狂っているわけではなく、
精神疾患にかかっているだけで、
精神科の医療とリハビリを受けて、
健常者への回復の道を歩もう、
というストーリーですね。

この神話(表)が隠してしまう、
神話(裏)は、
何でしょうか?

ほんとうは、みんな、
自分も気が狂ってしまうんじゃないか
という不安を持っていること。

健常者に属する者にとっては、
気が狂っている人のことは
全部、精神科に任せればいいと思える
気楽なシステムになったこと。

精神障害者に属する者にとっては、
社会通念から逸脱することの、
(気が狂ってしまうことの)
本人にとっての、そして
社会全体にとっての、意義・価値について、
表現する道筋が奪われ

健常者へ回復するという
ストーリーしか
生きられなくなったこと。

これが、
「誰もが気が狂う可能性がある」という
甚大な、階層喪失の危険から
社会を守るため、
近代以降、ここ150年、
用意された、対策なのです。

・・・

今回は、
かなり重い内容だったと思います。

そもそも、
気が狂う、という表現が
バンバンでてくる文章自体が、
しんどいかと思います。

また、一生懸命、
精神医療やリハビリに取り組んでいる方からすると、
え?
それって、神話(表)なの?という
かなりショッキングな
内容になっていると思います。

速攻、補足すると、
現在の精神科医療でも、
役に立つ部分は、あります。
(だから、ややこしい)

だから、それに取り組んでいることが
全く無意味だと、速断されないように
お願いします。

ただ、その精神科医療にも
限界があって、
その最たる部分が、
神話(裏)を隠してしまうことだ、
ということですね。

その地点で、不自由を感じている方は、
今回のシリーズが、
きっと、転機になるはずです。

・・・

みっぷをきっかけに
ジラールの理論を学ぶ時、

Do: 
精神疾患、
精神障害者、
精神科医療などの言葉について、
全く新しい視点を持つ。

Don’t: 
次回もジラールの話が続くことに
恐れをなす。(苦笑)
(前回と同じ)

次回は、
今回の後半部分について、
丁寧に補足していきます。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、 
ぜひ一度、お問い合わせください。