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2022/01/10

身体リテラシー入門⑭:増強法の意義



さて、身体リテラシーのシリーズ、
今回は第14回目です。

前回はこちら↓

身体感覚のチャンネルから、
エッジを超えて押し寄せてくる
内受容感覚としての根源的な不安を、

踊りや、
描画や、
作品の鑑賞などのかたちを通じて
自己表現することが、

チャンネル・スイッチの実際だ、
とお伝えしました。

それは、
エッジの向こうにある
得体の知れない何ものかを
「チラ見」するイメージでした。

今回、お伝えする
増強法」は、いわば
「ガン見」する感じですね(苦笑)

早速、取り組んでみましょう。

・・・

分かりやすい例は、やはり
解剖学者の三木先生の息子さんの
ドタバタ劇ですね。

なんだっけ?という方は
こちら↓

今回と関連のある部分を
抜粋してみます。

・・・

「オシッコがでるよー」と言いつつ
私が膀胱の真上を
ギュッと押さえてやると、
かなり強く響いたようだが、
自分の内部から出た感覚だとは
思わないようで、
「いやだ」と手を払うだけで
トイレに行こうとはしない。

(抜粋終わり)

・・・

三木先生が、
息子さんの下腹部をギュッと押さえる、
そのサポートの仕方が、
今回のテーマである
増強法
アンプリフィケーション)に
相当するわけです。

これって、
何をしていることに
なるのでしょうか?

まず、トイレ感覚を
まだ身につけていない息子さんは、

膀胱が膨らもうとする圧と、
放尿しないように耐えている圧、
その戦い、拮抗、葛藤に
悶々としているわけです。

そんな中、
三木先生が
息子さんの膀胱の真上を
押さえることは、

その葛藤を一層、
「増強」させることになります。

・・・

もっと詳しく
観察してみましょう。

溜まった尿が
膀胱を膨らませようとする
内側からの圧と、

それを押し返そうとする
外側からの膀胱の壁の圧、
そして、

その相反する力が
出口を求めて押し寄せてくる
膀胱の出口、そこを
必死で決壊させないように
締めている括約筋の緊張、

その三者のヒヤヒヤものの
バランスを、

増強法は、一層、
際立たせる役目を担っています。

三木先生が
膀胱の真上からギュッと押して
外側からの膀胱の壁の圧を
あえて増強させることで、

内側は一層、反発して
膨らもうとし、

そのとばっちりを受けて
括約筋は一層、
緊張せざるを得ない。

三者が、
それぞれの方向に
増強せざるを得なくなる。

三つ巴の葛藤の有りようが
エグく浮き彫りになるわけです。

これによって、
そっとしておくよりも
葛藤の有りようを
「ガン見」せざるを得なくなる。

・・・

「ガン見」することの
メリットは、何でしょうか?

ズバリ、
「チラ見」の時よりも、
自我が、
エッジの向こう側のものを
早く受容できるようになる
という点に尽きます。

別の言い方をすると、
エッジに向き合い続ける苦痛を
早く終わらせることができる、
ということになります。

それは、ありがたい!
・・・でも、
「ガン見」する勇気が必要
ということですね。

でも、なぜ、
そのようなことが、
可能なのでしょうか?

・・・

これは、
プロセス指向心理学が
信じているところのものですが、
そして、小椋もそう思いますが、

エッジにおいて
ぶつかり合っている相反する力は、

その実情がクリアになればなるだけ、
その解決の方向を自然にもたらす、
ということです。

突き詰めると、
エッジでぶつかり合っている
相反する力とは、

自我のゾーンを守ろうとする
自我の力と、

それを食い破ろうとする
自我ではないゾーンからの力、

ということになります。

そのエッジ付近の
二者の決死の攻防の様子が、

手にとるように
見えてくる時、

その時、
何が起きていると思いますか?

その二者の攻防を
俯瞰して見ることのできる、
第三者が、
誕生しているのです。

第三者って、
誰?

それが、
生まれたての、
新しい自我
と言えるわけです。

人は、そのようにしてしか
成長しない存在のようですね。

・・・

三木先生の息子さんの
ドタバタ劇に
話を戻しましょう。

三木先生の「増強法」には
速効性はなかったようですが、

次のような変化を、
息子さんに起こした可能性は
あります。

※もちろん、
息子さんの年齢からして
以下のような言語化は
息子さん自身には無理ですが、
その体感を、小椋が代わりに
言語化して、
息子さんの独り言にした
とご理解ください。

内受容感覚からやってくる
この、下腹部の不快感。

爆発しそうな何かを、
何かが無理に押さえている感じ。

うーん、もうー、
ジタバタするしかない。

この、何かと、何かの
このケンカ、何とかしてー!

あ、パパがまた、へんなことを・・・、
なんでそんなところ、
押さえるの? やめてー!

うー、でも、なんだか、
だんだん、へんだぞ、
おかしいぞ。

押さえる力と、
それに反発する力は、
確かに、この不快感の一部だ。

でも、それだけではない・・・
それよりも、キツい何かが、ある・・・。

このグーッと、緊張した
締まった感じ・・・。

爆発しそうなタンクの
蛇口をひたすら、締めている感じ。

ずっと、ジタバタしている間に
その感じがどんどん、キツくなる。

もう、最初の頃の、
爆発しそうなタンクの感覚よりも、
そっちが、キツい。

もう、限界だ・・・。
なんで、ずっと、締めていないと
ダメなのか?
ゆるめちゃって、いいのか?
ゆるめると、どうなる?
なんか、そのあと、ひどく
怒られた記憶があるが・・・。
それ、やっちゃって、いいのか?

もう、限界だ、もう、ダメだ。
怒られるのもいやだ。
どうする、?どうする?
もう、ゆるめるしかない。
トイレでしょ?
トイレいきなさい!
ママ、叫んでたな・・・
トイレで、ジョーするのか?
そうすれば、いいのか?
そうだ、そうしよう、
そうすればいいんだ・・・
オシッコ!!!

・・・

こんな実況中継は
現実には
ありえませんが(苦笑)、

人が成長する瞬間と
増強法の意義について整理するには
便利かと思います。

ポイントは、
息子さんのエッジのあり方が
途中から変化した点です。

最初は、
エッジの向こうには
爆発するタンクの感覚の不快があり、
こちらには、
それに耐える自我がある、
という構図でした。

でも、増強法をきっかけに
その構図が変わります。

増強法で強調された
爆発するタンクの感覚は、
実は、あまり重要ではないようだ。

つまりそれが、増強法で、
逆にわかった、ということです。

当然そこには、
時間経過とともに膀胱に
尿がさらに溜まって
括約筋の許容範囲の限界が
迫ってきたという事情もあります。

いずれにせよ、
エッジの実情をガン見する
きっかけになったのです。

つまり、その実情とは、

エッジの向こうには
括約筋をゆるめたい衝動があり、
こちらには、
それを許容できない自我がある、
という構図です。

最初の構図と、微妙に
でも決定的に違うことが
分かって頂けると思います。

最初の構図は、
ウソではないが、
エッジのより深掘りした
実情では、なかったのです。

このように、
エッジの向こう側にあるのは、

得体の知れない何か、
という印象を抱いてしまうほど
受け入れ難い、
自分自身、という場合が、
非常に多いです。

息子さんの場合も、
括約筋を自らの意思で緩めることが
できる自分を、
現在の自我が受け入れることができないでいた、
ということが
エッジの実情だったわけです。

その対立の構造を
息子さん自身が
切迫した尿意の中で
ようやく、見通すことが
できるようになった。

その瞬間、
トイレで放尿する自分なら
受け入れることができる、
と気づいた、というわけです。
そして、実行に移した。

・・・

年始から
なかなか濃い話題になっています(苦笑)

三木先生の息子さんの
ドタバタ劇の解説だけでは
自分の療養生活とどう結びつくのか
ピンとこないかと思います。

次回は、
今回のテーマを
療養生活の中でどのように
活かしたらよいか、お伝えします。

・・・

根源的な不安に
さいなまれている時、

Do: 
エッジの向こう側にある
根源的な不安は、
ガン見すると、
ほんとうに恐怖しているものは
別にあると分かる場合があり、
その気づきを促進させる効果が
増強法にはあると知る。

Don’t: 
増強法が理解できないからと
身体リテラシー自体をあきらめる。

※今回は「増強法の意義」という
内容になっています。
次回は、「増強法の実際」というテーマで
強迫性障害の暴露反応妨害法という
典型的な実例をご紹介して
理解を深める予定です。

いかがでしたでしょうか?
同じ悩みをお持ちの方は、 
ぜひ一度、お問い合わせください。